心のドラマが広がるところ、
鞠生幼稚園。
子どもたちは、必ずしも大人が望む景色を
見ているわけではありません。
子どもたちは、いつも大人が「こうあってほしい」と願う姿を
なぞっているわけではありません。
いま大人である私たちをいつか乗り越え、
新しい社会を築いていく子どもたち。
その可能性を信じ、子どもたちの内にある種(たね)の萌芽を見つめ、
そこから生まれる心のドラマを大切にしたいと
私たちは考えています。
ここに長い間読み継がれてきた
3冊の絵本があります。
そのうちの1冊に登場するフレデリックという野ねずみは、
冬に備えて仲間の野ねずみが働いている姿を見ながら、
ひとり考え事にふけっています。
みんなで力を合わせて、冬を乗り切るために
木の実や草の実を集めていた野ねずみたちは
きみはなぜ働かないのか、何をしているのか、
と彼に尋ねます。少し腹も立てながら・・・。
フレデリックは、寒くて暗い冬のためにおひさまの光を、
話の種も尽きるような長い冬のために言葉を
集めているのだと答えます。
そして長い冬が訪れ、
みんなで集めた食べ物が底をつきそうになった時
フレデリックは、これまでに集めた光や色や言葉の話を
少しずつ話し始めました。
その言葉を聞いたみんなの体はポカポカと温かくなって
蓄えた食べ物以上の幸せや悦びを感じることになります。
「おどろいたなあ、フレデリック。
きみって しじんじゃ ないか!」
「そう いう わけさ」
もしも、野ねずみたちの中にフレデリックがいなかったら?
みんなが同じことを考え、同じことしかできなかったら?
きっとあのような幸せを感じることはできなかったでしょう。
もし私たち大人がフレデリックのような感性を認めることなく、
今の社会に存在する価値観だけを押し付けてしまったなら?
それは、子どもたちの心の成長を妨げ、
将来つまらない社会を作る手助けとなってしまうでしょう。
子どもたちは生まれた瞬間から、
五感のすべてを使って周囲に広がる世界を感じ取り、
自分という存在を確認していきます。
自我の芽生え、そして他者との出会い…
成長に伴い変化する自分の内面と、
外の世界や他者との関係性の中で、
さまざまなことを感じ、時には失敗したり傷ついたりしながら、
喜びや充実感、自信などを一つずつ自分のものにしていきます。
試行錯誤をしてたどり着く過程のすべてが、
子どもたちにとってとても重要な意味のあることなのです。
人から与えられるものではなく、
自分で経験したことから得た学びの一つ一つが
他の誰でもないその子自身のあゆみなのです。
心のドラマが広がる幼稚園とは
どのような場所なのか、
子どもたちが幼稚園で出会うさまざまなものが集約された、
ぜひとも読んでいただきたい3冊です。
- フレデリック
-
レオ・レオニ
谷川俊太郎訳
好学社
モノの流通と違って、教育は文化を生み出す営みです。
鞠生幼稚園は、子どもたちの心のドラマに共感し、
共に子どもの世界、
子どものあゆみに寄り添うために
しなやかで、深い心を耕す努力を重ねていきます。
幼稚園は文化を生み出し、守り育て、築いてゆく場所なのです。
- トーマスのもくば
-
小風さち 作
長 新太 絵
福音館書店
子どもたちの心の中では大人たちには想像もつかない
速さや大きさや色彩の、さまざまなドラマが生まれています。
そのドラマを的確に読み取り、スルリとその世界に
入り込むことでしなやかに子どもたちを導いてゆく。
そんな教育者の姿が表現された一冊です。
- たろうのともだち
-
村山桂子 作
堀内誠一 絵
福音館書店
「こんにちは」とにこやかに挨拶ができたからといって
相手がいつも自分と同じような気持ちで
応えてくれるとは限りません。
他者との関係の中で子どもたちは悩み、考え、時には傷つき、
と同時に「自分一人では見つけられない“大切な何か”に
気付かせてくれる」そんな存在であることを、
子どもたちは感じることでしょう。