殻を一枚一枚
取り除くように。
さっきまで元気いっぱい走り回っていた子どもが、
転んで声を上げて泣いています。
けがはしていないようですが、子どもはまだ泣き止みません。
「痛くない痛くない。大丈夫」
「危ないからもう走るのはやめなさいね」
「いつまでも泣いていたら恥ずかしいよ」
親としては早く笑顔になってほしい、
もう泣くのはやめてという思いから、いろいろな言葉をかけます。
でも幼稚園の先生は、もしかしたらこう言うかもしれません。
「転んで痛かったんだね。びっくりして、涙が出たね」
いたくて びっくりして いまは だいじょうぶじゃないんだ
という言葉にならない思いを訴えていた子どもは
何だかほっとして、元気が湧いてきて、
やがて次の遊びへと向かっていくことでしょう。
子どもたちは家庭から少し離れた幼稚園という場所で、
たくさんの人・物・事に出会い、心がさまざまに揺れ動きます。
先生やたくさんの友達との出会い、
なんだか面白そうなもの、
初めて経験することへのわくわくした気持ち。
わからないこと、慣れないこと、見通しの立たないこと、
そして大好きなお母さんから少しの間離れることへの戸惑い。
春、幼稚園での生活は、
まず先生が子どもたちの揺れ動く思いを
受け止めることから始まります。
大きな声や力いっぱいの行動で、
誰かに受け止めてほしいと強く訴えているその思い。
小さな声で、わずかな視線の動きで、
精一杯表現しているその思い。
子どもをこちらに引き寄せるのではなく、
大人が子どもの側へ寄り添い、
思いをくみ取るという姿勢を大切にしながら、
鞠生幼稚園の先生は子どもたちと共に遊び、共に生活します。
子どもであっても大人であっても、
自分のことをまるごと受け入れてくれる人や
あるがままを理解しようとしてくれる人と向き合うとき、
胸の中に温かい気持ちが広がっていくような感覚を
人は誰でも持つのではないでしょうか。
心が通じ合う瞬間の喜びが、またその人と一緒にいたい、
喜びを分かち合いたいと次々に広がっていきます。
そんな喜びや安心感の中で、
好奇心や探究心といった子どもがもともと持っている育ちの芽が
周囲の環境を捉え、新しい心のドラマを生み出していきます。
育ちを先取りする近道や、
どの子にも当てはまるマニュアルなどない子どもの園で、
薄い殻を一枚一枚取り除くように、
子どもたちの感じているものをそっと、ありのままにとらえ
家庭の外で最も子どもたちに近い場所にいる大人でありたい、
それが鞠生の先生です。