青い目のお人形を
知っていますか?
1924年(大正13年)不況により
アメリカでは、排日感情が高まっていました。
アメリカと日本との関係悪化を心配し、
子どもたちが互いの国の文化を理解しあうことで
両国の友好につなげたいという願いから、
日本在住経験のある宣教師シドニー・ルイス・ギューリック博士が
あることを呼びかけました。
ひな祭りに合わせて、日本の子供たちのために
人形を送るという計画です。
人形を買うお金を寄付する人、人形のために洋服を作る人…
多くの人々の協力を受け、
12739体の人形がアメリカから送り出されました。
ギューリック氏と親交のあった渋沢栄一が
人形の受け入れを引き受け、
文部省や外務省へ呼びかけて受け入れの準備が進みました。
1927年(昭和2年)横浜や神戸などの港に人形が到着し、
その後各都道府県の小学校や幼稚園に送られ歓迎されました。
また日本からは「答礼人形」として、
日本人形がアメリカに送られました。
しかし太平洋戦争が始まり、
外国の物や言葉が敵視されるようになると、
青い目のお人形たちにも敵国への怒りが向けられ、
多くが処分されてしまいました。
「子どもたちのために海を渡ってきた人形たちに罪はない」
密かに隠され、守られた人形たちが
今も全国各地の小学校などで大切にされています。
鞠生幼稚園の青い目のお人形「ワーテラ・ヘズ」も
このようないきさつを経て、現在、理事長室に座っています。